東京国際女子マラソン [Sportsの話]
高橋尚子が勝った!
喜ばしいことである。
一度頂上から転落したアスリートが、復活するというのは、大変なことだと思う。
(まあ彼女の場合は、前回は優勝できなかっただけで、立派な2位だったんだが…)
7時のニュースで結果を知って、「勝ったんだ。よかったね」という安堵系の喜びを感じた。
別に高橋尚子のファンというわけでも、マラソンファンというわけでもないのだが、
彼女については、他のアスリートとは別の、ちょっと特別な感情を持っている。
シドニー五輪で、日本陸上界初の金メダルを獲得した後、
「Qちゃんバッシング」の時期があったのを覚えているだろうか…
金メダリストとして、マスコミへの露出度もあがっていた頃だったと思う。
週刊誌やタブロイドで結構叩かれていたようだが、
その中で、どうしても納得できないのがひとつあった。
ある週刊誌の中吊り広告にあったそのコピーをいまだに忘れられない。
「高橋尚子、芸能人気取り!」
である。
「芸能人気取り」とはどう言うことなんだろう?
私の日本語の解釈では、高橋尚子より芸能人という人種の方が、
地位や、格が上で、高橋尚子の癖に、芸能人にでもなったような気になるのは何事だ!
という意味に取れた。
ちょっと待て!彼女はオリンピックチャンピオンだぞ!
芸能人と比較したら、彼女の方が、圧倒的に格が上だろう!?
日本の芸能人で、世界一の称号を得ている人が何人いるんだ?
しかも彼女は、たまたま勝ったのではなく、当時は出た試合のほとんどを勝っていた
偉大なランナーだったはずだ。
当時の芸能人の中に、彼女以上の業績を誇る人がいたであろうか?
アスリートとアーティストどっちが偉いか?という話ではない。
個人が叩き出した、業績(成果)を比較してものを言え!…
という妙な憤りが、その後高橋尚子を密かに応援するようになったきっかけである。
だからアテネに落選したときも、小出監督から独立したときも、
「次は必ず結果を出して欲しい」と願っていた。
だから今回彼女が勝ったら、「ざまあみろ!」とスッキリするかなと思っていたが、
意外にも、「良かったね」という安堵系の喜びであった。
できないかもしれない、高い難易度をクリアした時に起こる、
拳を突き上げるような喜びではなく。
やるべき仕事をひとつ、無事にこなした時の「ご苦労さん」という労い系の喜びもであった。
きっと私にとって、高橋尚子の今回の勝利は、決して高いハードルでも、難関でもなく、
普通に勝つべきレースに勝てたということだったんだと思う。
異なった表現をすれば、「彼女は勝つ!」と信じていたのだろう。
彼女にはこれからも、まだまだ日本マラソン会の牽引者として、活躍して欲しいし、
次の北京五輪では、アテネの金メダリスト、野口みずきとの1・2フィニッシュを
飾って欲しいと願っている。
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